揺るがない自分になる!ストア哲学

リビングしゃちょー(夫)の、ストア哲学概観!



それでは、さっそくどうぞー♡

 

ストア哲学の概観

ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』をもとに考察。

1存在とは、神(=全体)の内部に作り出されたものである。

(外側ではなく、神の内部に)

そして、存在はすべて各々、役割をあてがわれている。

ブドウの木はブドウの果実を、ミツバチは蜜を作ることを。

2しかるに、人間は「理性」(ストア哲学では「指導的理性」という言葉を使う)を役割としてあてがわれた。

理性とは自律である。自律とは、自分で自分をコントロールできること。

3自分をコントロールするためには、コントロールが及ぶ範囲と及ばない範囲を見極めることが必要である。

たとえば、他人の評判や称賛あるいは非難は自分のコントロール外のことである。対して、

自分自身の意思・思考・行動は自分のコントロール下におくことができる。

美しいものはそれ自体において美しく、称賛を必要としない。

4ところで、理性は神的なものの一部である。

したがって、神的な性質から導かれる良心に従って生きることが肝要である。

良心の内容は、神々を敬うこと・公共に生きること・自律的であること。など。

それが「自然」(この語もストア哲学ではよく使われる。カタカナ語のいわゆるネイチャーではなく、割り当てられた本性、くらいの意味)であり、その自然にしたがって生きることが人間の幸福なのである。

以上がストア哲学の幸福論の概要である。

今の一般の日本人は、神云々という発想にそもそもなじまないと思うので、

23のみで幸福論を再構築してみた。

ふつうの人は、他人の評価(称賛や非難など)に一喜一憂する。

ところが、他人の評価は移ろいゆく(つまり自分のコントロール範囲外)ので、

それを軸に(横軸→相対軸に)自己評価の根拠を置くと、こころが安らぐときがない。

なので、相対軸とは別の、自己の内部だけに根拠を持つ「絶対軸」を持つことが大事。

絶対軸とは、自分の思い・判断・行為(これらがすなわち、コントロールできる範囲)

のみに自己の価値を見てとっていくことである。

他人、つまり外側(相対軸)からの評価に一喜一憂することのない「絶対軸」を持つことによって、こころの安定を得ることができる。

ひとことで言えば、

「自分の価値は、自分が思っていること、考えている内容がすべてである」

ということ。

思いの内容が美しい人は、すなわち、
美しい人である。

思いの内容が醜い人は、すなわち、
醜い人である。

ということで、他人の評価に一喜一憂することなく、自分の思いの内容にのみ注力していく。

棒人間の例だと

相対軸の場合

カイザーくん:「いや、きみ、最近セミナーも絶好調だね。その上、美人って、すごいなっ!」

主人公:やったー、誉められちゃった。わたしっていわゆる勝ち組ってやつ?!(^^)!

主人公の価値は、「師匠に褒められて舞い上がる人。」ということになる。

アリエルちゃん:「あんた最近、出過ぎなんじゃない?やばくない?」

主人公:うわーん。けなされた評価が下がった。負け組かもしれない( ;😉

 

主人公の価値は、「くさされて、がっかりしている人」ということになる。

(/ω) /(/ω)  (/ω) /(/ω)

上がったー、下がったー、上がったー、下がったー。

絶対軸の場合

カイザーくん:「いや、きみ、最近セミナーも絶好調だね。その上、美人って、すごいなっ!」

主人公:「いえいえ、カイザーさんのご指導のおかげです。

主人公の価値は、「褒められたけど調子に乗らず、さらに精進を誓う人」ということになる。

アリエルちゃん:「あんた最近、出過ぎなんじゃない?やばくない?(ちょっと美人だからって、ふん)」

主人公:「そうかもしれませんね。ご指摘ありがとうございます。これからは謙虚に頑張っていきますね」 あるいは、黙殺もアリか。

主人公の価値は、「くさされたけど、謙虚に受けとめて参考意見としさらに精進を誓う人」あるいは「くさされたけど、他人のマイナス感情に振り回されず、距離をおくことができる人」ということになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

引用 『自省録』マルクス・アウレリウス著・神谷美恵子訳(岩波文庫)

*注意:文中の「君」はわれわれ読者のことではなく、アウレリウス自身のこと。元来、他人に読ませるつもりでなかった日記であるので、自分に向き合いつつ自分自身に語りかけている。

・第8巻ー47より
「君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、
それに属する自分の判断なのだ。」

・第9巻―42より
「ところで君はどんな被害を蒙ったのか。君が憤慨している連中のうち誰一人君の精神を損なうようなことをした者はないのを君は発見するであろう。君にとって悪いこと、害になることは絶対に君の精神においてのみ存在するのだ。」

・第4巻ー3より
「つまらぬ名誉欲が君の心を悩ますのであろうか。あらゆるものの忘却がいかにすみやかにくるかを見よ。

またこちら側にもあちら側にも永遠の深淵の横たわるのを、喝采の響きの空しさを、

我々のことをよくいうように見える人びとの気の変わりやすいこと、

思慮のないことを、以上のことを囲む場所の狭さを。

(中略)

「そして君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘ののうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ、内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ。」

・第4巻ー20より
「何らかの意味において美しいものはすべてそれ自身において美しく、自分自身に終始し、賞賛を自己の一部とは考えないものだ。

  (中略)

美しいものはなにかそれ以上のものを必要とするか。否、それは法律や真理や善意や慎みの場合と少しも変らない。これらのものの中のなにがいったい誉められるから美しく、非難されるから悪くなるであろうか。エメラルドは誉められなければ質が落ちるか。

  (後略)

『自省録』は、人間が綴った書物のなかで最も美しい書物のひとつ。と思う。

もともと、他人に見せる/出版の意図で書かれたものではなく、題名から察せられる通り、「日記」として書かれたものである。文中の「君」はアウレリウス自身のことであり、自身への語りかけである。ゆえに衒いがなく、率直な言葉が胸をうつ。

本当は、マルクス・アウレリウスは、ローマの皇帝になんかなりたくはなく、山にでもこもって読書三昧、哲学者として生きたかったのに、そういう人生を選べなかった……という思いが随所にうかがわれて、なかなかに哀しいものがある。その点においては、日本であれば、鎌倉三代将軍、源実朝のごとし、か。本当は将軍になんかなりたくはなくって、歌人として生きたかったのである。

     大海の磯もとどろに寄する浪われてくだけて裂けて散るかも

*大海=おほうみ→おおうみ

2巻―2より「この私という存在はそれが何であろうと結局ただ肉体と少しばかりの息と内なる指導理性より成るにすぎない。書物はあきらめよ。これにふけるな。君にはゆるされないことなのだ。そしてすでに死につつある人間として肉をさげすめ。」

……以上、リビングちゃちょー(夫)の、ストア哲学の概観でしたー♡

とか、軽くまとめちゃって大丈夫かなー^^;
難しい?難しいよね?だいじょうぶ、私も夫の長話が始まると、
ぴゅーっと逃げたりしてるから!(笑)

とはいえ、ためになる話も多いので、
このシリーズはたまにやるかもしれませーん(^^)
有我咲英 ariga sakie 作家・自己啓発小説家


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